「ゆらぎ」に耐えられない心

考える

「普通に出来ない」

この想いが、うつで引きこもっていた頃強くあった。

ベランダに出る。お風呂に入る。鏡を見る。なんて家の中での事から、

買い物へ行く。ATMでお金を下ろす。レジで支払う。電車に乗る。といった一歩外へ出れば発生するなにもかもにおいて、

いちいち緊張する。ドキドキする。首筋に汗が出てくる。息が苦しくなる。しょっちゅうトイレへ避難する。頭がクラクラとする。

 

「やっぱり私は普通に出来ないんだ」そう考えて、勇気を出して外へ出たのに、また家の中で動けなくなる。

やっぱりダメだ。私はだめなんだ。何も出来ないんだ。一生こうしてここに座っていることしか出来ないんじゃないか。

そんな風にまた、自分を「ダメだ」の剣で突き刺してばかり居た。

 

『あんな冗談も言って元気だったのに。もう何日も連絡がとれないの。』

妹から連絡がきた。大切な人と連絡がとれないらしい。

話を聞いていても、実際本人を目の前にした時も感じていたけれど、あの子はあの頃の私に似ている。

「普通じゃないから」「普通に出来ないから」 しきりに言っていた『普通』。

あの頃の気持ちを思い出してみる。あの頃私の心身はどういう状態だったんだろう?

今考えてみると、こんな流れだったんじゃないかと思った。

 

つらい状況に置かれたり、耐え難い出来事があったりすると心は、何も感じない位置で静止するように思う。
今のこの状況をまともに受け止めたら…耐えられなくて壊れるから。だから、静止する。そうやって「私」が壊れないように守っている。
※この時の特徴としてひとつ感じるのは、映画や本など自分とは直接関係ない物語に触れた時には、逆に心がめちゃくちゃに動いて大泣きしたりする。自分には関係がないから、安心して心が動くのだと思う。

次第に何に対しても無関心で感情が動かなくなっていく。しばらくこれが続いてこの無関心状態に焦る時実は、前途の「つらい状況」からは、抜けつつある。知らず識らずのうちに、無事耐え難い場所を乗り切りつつあるか、状況は変わっていなくても「抜け出そう!」と思い行動へ移す力が心身に溜まっている。だから無感情な状態を抜け出そうと、思える。

無関心状態をなんとかしようと避けていた事をしようとする。

私の場合は「外へ出る」だったけれど、「人と話す」であったり、「恋をする」「好きだったことをまたやってみる」であったりするかもしれない。

ここで久しぶりに、心が動く。それが上手くいってもいかなくても、実は関係ない。「楽しかった!!」「上手に出来た!!」であってもこれは、久しぶりにダイレクトに感じた「ゆらぎ」そのもの。

その「ゆらぎ」に今度は焦ってしまうの。動かないで安全にしてたんじゃないの?!やめて!と勝手にアラートが鳴ってしまうから、

指先が震えたり、汗が出たり、周囲が気になったり。「○○と言ってるけど実は違うんじゃないか?」と人を疑ったりして、また安全なゆらがない位置に戻ろうとしてしまうって。そういうことなんじゃないかな。

私の心身はあの時「悪い」状態だったんじゃなくて、実は正常に働いてた。私を守ろうとしてた。そういうことなんじゃないか?

 

そう思ったら、涙が出てきた。なんだ。ずっと味方だったんじゃん。

多分だけどその子も…ゆらぎに耐えられなくなって、もしかしたら実際丸まって静止しているのかも。あ、動ける…と思った時には一週間くらい余裕で経ってるものだから。
その最中にある時は、どうしてこうなってしまうのか分からなくてきっと混乱する。
だから、「ゆらぎ」に耐えられないだけだよって伝えてほしい。そう言った。少しずつ振れ幅に耐えられるようになってくるよ。心が柱から顔出して「大丈夫?………大丈夫そう!」って安全確認しながら導いてくれるから。大丈夫だよ。

チラッ…

無関心、無感情な状態から抜け出そうと焦る時、抜け出し方が分からずに、闇雲に人と会おうとして失敗したり、優しさを素直に受け止めすぎて悪い人間に騙されたりでまた大きく傷ついたりもするから。そんな時にそばに居るのがあなたで良かった。妹には、そんな風に思った。

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