ひとしずくであること

考える

今、この瞬間において私は無力だ。

空を覆えるような大きな手もなければ、風を起こし何者かを怯ませる力もない。

もう、誰が悪者だとか、ヒーロだとか、被害者だ加害者だ、罰しろ殺せなんて何も意味がないことを皆知ってる。

 

空はこれだけ青く、ただ黙って季節は移ろっていくのに、何故悲しいと感じるんだろう。苦しい顔して形を保とうと、しているんだろう。

誰しもが気がついたらこの世界に居たというだけで、今この場所で生きようと、必死でいるだけ。

この世界のルールやルールに見えるものに、いつの間にか当てはめて形を合わせようとして、生きているだけ。

それがどれだけ罪深い歴史の上成り立っていたとしても。各々に罪は、あるようでないのではないか。ないようで、あるのではないか。

 

罪は、悪は、本当にその人個人のものだろうか。そんなことを考えるために生きてきたかもしれないと思う。

破壊衝動と相まってエンタメとして消費されてしまうような血に染まった作品や実際に起こってしまった事件とも、根っこで繋がりたくて。
自分の育った環境とも照らし合わせて。何もかもを生まれた瞬間から享受しているように、見える人。何も持っていないように、見える人。

個人の感情に外側から「差別」と、「怠惰」と、「不謹慎」と、名付けられ縮こまった人。

大声で「普通」や「常識」、「優しさ」なんかを武器にしてしまう人たち。そんな武器を、誰しもが自分へ向けていると…ただ思い込んでいるだけだったり。

 

気がついたら、ここに居た。そして、ただ必死だった。

誰かが、悪いんだろうか?本当の意味で完全に被害者と、加害者とを明確に分けることが出来るのだろうか。

咎められる事をしていないというだけで、善だという顔をしていないか。実はそんな顔をして非難するだけの人間が大半なのではないか。それもただ、善で居たいという願いなのではないか。それならば。

本当にただ単に外側に、悪いものが「ある」として、いいのか。時代や場所の決まりごとや風習で簡単に、何が悪であるかなど変わるのに?

 

今、この瞬間において私は無力である。

ステッキを振って苦しいものを消すことも、空を地面に落とすことも、出来ない。

私はこの瞬間、水に落ちるただの雫だ。

いつかのそれぞれの「私」が落ちた波紋で出来たのがこの世界なら、そこに「悪」が生まれたのなら。

個人でなく土台を、考えてみることではないのか。


未来のいつかの、拡がった波紋を私が作るのかもしれない。それならば

私が先に忘れて手放すことだ。憎しみも嫌悪も執着も。「私」の作り出す波紋はどんなものか。想像することは創造なのではないか。

そんなことを考えるのでした。

与えようとしても光を求めてしまうのだろうし、手放せずに執着もきっとする。

私はただの人間で、でも人はそれぞれがある意味では神様なのかもしれない。

望む世界があるなら、ひとしずくであると忘れないこと。なのかもしれない。
「今日からどう生きてこう?」はまだあやふやなんだけど、とりあえずにこにこしてる。無力でいやになる。でも、ほっとした時間を持とうかな。夕方や夜や、明日のために。

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