胸の中になんとなく居る神様

考える

神様と死について。

 

何かの信仰や宗教を持ってはいない。が、昔からなんとなく胸の内側に神様が居る。

別に願いを聞いてくれる訳でも、慰めてくれるわけでもない。
何もしてはくれないし体調の悪い時は存在を忘れてしまうこともある。
常に付いていてくれるような守護神的存在でもない。
ああやっぱり居たのねって瞬間があるってくらいの、適当な呼び方が神様だったってだけの神様。


たまに夢の中で神様に会う事があって一緒に過去を見に行って見ちゃいけないものを見て記憶を消されたり、不謹慎な事で笑い合ったりする。
娘をお腹に宿す1年程前には、「小さな手の者は優しい。優しい小さな手を守りなさい」と言われて、なんのこっちゃ。かしこまっちゃってプークスクスと思ったけどきっと娘の事だったんだろうな。確かに、娘は優しい。
大家族の中で育った私はポッキンアイスのこのピョコっとした枝が付いている方をどう自分のものにするか必死だった。

このピョコっとした部分分多い方にこだわっていた子供時代を過ごした私の目に、まだ言葉も喋れない頃から自分の分がなくなるまで人にオヤツを分け与えてしまう娘の姿が、どんなに神々しく映った事か。
夫と言い争いになってもなんとか場を和ませようとする。どうしたら解決出来るのか具体的に提案してくる。「それは…ちゃんといえばよかったんじゃない?」なんて。この小さい体にそんなに優しさと賢さを詰めてしまって大丈夫なのかと心配になる。

また違った種類の神として、動物や植物の命の端々に神様の存在を感じる。

小さな種が水を吸って芽を出し大きな枝をぐんと伸ばすのや、
カモノハシが親のやっていたように家を作るの、
大きな海を悠々と泳ぐクジラの姿に神様を感じる。
こんなもの、勝手に出来上がる訳がないわって。
クジラは特に神様を感じすぎてこわい。
シカにもクジラと同じような神様の気配を感じる事があったんだけどどうやら、クジラとシカって今同じ鯨偶蹄目(くじらぐうていもく)に分類されるみたい。

→鯨偶蹄目Wikipedia



具体的な宗教を持ってはいないから、死後の世界的なものを具体的には想像出来ないし、もしかしたら本当に無かもしれない。
ただ創造しただけで基本放置の神様達は、別に私達の命のひとつひとつなんてきっとどうだっていい。悪い奴が早く死んだり、いい人が病気しない訳でもないし、苦しい事や悲しい事は容赦なく起こるし。

だけど、

「人間だるかった?」
「めっちゃだるかった。長いし。」
「だよね。わかる。」


的な会話を死んだ後この胸の中の神様と、高台の塀の上に座って夕日を眺めたりしながらするんだろうなと思っているから、若い頃に感じていた死に対する漠然とした恐怖はいつの間にかなくなってしまった。痛いのも怖いのも悲しいのもマジ勘弁だけど。
あ~やだな痛くて怖いのは。はぁ~やだやだ。ハンバーガーでも食べよ。みたいな感じで今日も生きてる。

若い頃は確かに、漠然とした恐怖があったはずなんだけど、あれはどこへ行ってしまったのかなぁ。

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