寂しさの正体 -自分自身と向き合うということ-

考える
A young woman is getting up in the morning and is opening the curtains to look outside

最近人生で初めて同じ目線に立って

「一緒に考えよう」をしてくれる人に出会った。

もしかしたらこれまでにもそうしてくれた人は、居たのかもしれない。

でも初めて「うん。やってみる。」と頷ける人に。

 

 

 

 

普通にご飯を食べて、普通におむつも換えてもらって、絵本なんかも読んで…もらってたか。

そんな幼少期だったのに何故私はこんな風に、同じ目線に立ってもらった事がないと、無視されてきたと、感じているのだろう。

そう。まだここで立ち止まってる。いい年こいて。

でもね、ずっと付きまとうんだ。蓋して忘れた気になっても、やっぱりここへ戻ってくる。

そろそろ真剣に向き合わなきゃいけない。

取り繕ってかっこつけるのは一旦やめて、恥ずかしさをさらけ出してみよう。

 

 

幼い頃に感じていたこと

良い子で居る事。困らせないで大人しくしている事。それが愛されることなのだと思っていた。

親の言う通りに、フリフリのワンピースを着て、先の丸いツヤツヤした靴を履いて。

甲に付いたリボンを見つめていた視点を今でも度々思い出す。

とっても可愛いの。大好きなの。でも、それは私の履きたかった靴じゃない。

 

甘えたいと感じても、下の子に親の膝を譲った。親の膝に乗って甘えた記憶がない。

唯一黙って膝に乗せてくれた祖父は、私が5歳の時に死んだ。

祖父の膝に乗る時も、お爺ちゃんは具合が悪いんだから迷惑かけちゃいけないと言われたな。

迷惑かどうかはお爺ちゃんが決める事だし、嬉しそうに抱いてくれてる。

今なら反論出来るけど…人は死ぬからな。人は死ぬんだからさ、好きなようにしたら良かった。

 

怒ったり泣いたりしても、茶化されるかバカにされるか…ばかりだった。

何にそんなに怒っているの?どうして泣いているの。

誰も、そんな視点に立ってくれたことはなかったな。今ならわかる。

 

 

それでも、時々本音を出した事もあった。

 

本当は、かっこいいロゴの入ったキャップを被りたい。

本当は、膝の破けたズボンが履きたい。

本当は、友だちの家へ泊まりに行ってパジャマで夜更けまで話し込みたい。

本当は、そろそろ可愛い下着がほしい。

本当は、お化粧なんかに興味がある。

本当は、全部投げ出して叫びたい気分なの。

 

笑ってしまうのだけど、一人で内側に閉じ込めていたそんな本音を、閉じ込めきれずに出してしまった時の…親の顔。今でも忘れられない。

汚らわしいものを見るかのような表情で、私を否定した。

そんな子だったなんてと落胆し、産まなければ良かったなんて事も…言われたかもしれない。小さい頃は可愛かったのに。思い通りになる小さい内が終われば、後は用がないと。煩わしいだけだと言われているようだった。きっとそれが、親の本音だったんだろう。

 

 

私の内側など、取るに足らないもの。不必要なもの。愛されないもの。

殺すしかない。必要ないのだから。私の本当の姿なんて、誰にも受け入れてはもらえない。興味を持たれる事もない。無視されるべきもの。

そう確信して自分でも無視する事に、きっとしていた。

大人になって

そんな癖が大人になってから、突然消える訳もない。しっかりと習慣になる。

愛を獲得するには、「相手の思う私」で居なければならない。

知らず識らずの内にそんな約束を、自分の中で取り交わす事になるんだ。

本当は、そんな話聞きたくない。

本当は、そんなところへ行きたくない。

本当は、今全然セックスしたくない。

本当は、あなたになんの興味もない。

本当は、あなたが何を私にくれるのかにしか、興味ない。

本当は、私が可愛いかどうかにしか興味がない。

本当は、どうでもいい。全部。私自身の事も含めて全部どうでもいい。

 

自分で勝手に自分を殺しているのだから、相手は何も悪くない。

悪くないのに、相手がめちゃくちゃに憎くなる。

お前のせいで、私は自由では居られないのだと。

部屋でくつろいでいる所へ突然、自分で自分を縛って苦しそうにしている人が転がり込んできて「お前のせいだ」と言われたらどう思うだろう。

マジで最悪な気分だよね。知らねぇよと(笑)

でも…そんな事を繰り返してきたのよ。

 

絶対に、目の前に居るその人は悪くないよ。だってあなたは

その人の前で微笑んだでしょう。

嬉しそうに振る舞ったでしょう。

喜んで抱かれたでしょう。

誰もあなたが、本音を隠しているなんて感じないよ。

そのままのあなたを信じていただけでしょう。

裏切られたのは、相手の方だよ。

 

自分を信用出来ない

ここまで分かっていて、何が苦しいってさ

これからも自分を殺さずに居られるのかが、分からないこと。

 

嬉しいや楽しい気持ちを手放さない為にまた私は、率先して自分を殺しにかかるんじゃないかって。そう感じる。

いちばん最初に殺すべきは、自分自身。そんな思考の癖から抜けられるのか、自分を信用出来ない。

きっとこれを一番恐れているから、起こった事に対して責任を求められたり疑われたりする事が苦手なんだな。

そんな事わかってる。私が信用出来ないことなんて…私が一番分かってるんだよってさ。

ここと向き合わないと結局、目の前の人とは無関係な傷が度々痛みだして、

「くそ痛てぇ。お前のせいで苦しんでる」なんて、バカな勘違いをまた起こすのよ。

その人じゃない。痛いのはとっくの昔に負った、しかもあなたは治ってると思い込んでる傷だよ。

 

まずは自分と向き合うこと

うーん。どうやってここを抜けたらいいんだろうか。

まだ困っているけどそれでも…胸の内に絡まったごちゃごちゃを、整理して外に出せた。

今はとりあえず、それを喜ぶ事にするか。

 

似たような傷を負ってる人はきっと沢山居る。

きっと私と視線を合わせてくれた人もそう。

いい大人がそんな事でなんて自分でも、くだらない事として無視する。そうすると、他人が抱えている似たような傷にも、イライラとするようになる。



誰が悪かったとか、相手は死んだ事にしてこれからを生きるとか、解決方法は人それぞれだけど

もし私の後から、傷と向き合おうとした人が現れた時。

心から抱きしめてあげるにはさ。まずは私が自分と向き合わないといけないんだろうな。

私が欲しいのは、本当の優しさ。本当の優しさで包み込める人に…なりたいんだ。

コメント

  1. アルベルダン より:

    はじめまして。

    とても興味深い内容でした。
    結局自分と向き合う事でしか、得られない物語は確実にあって、ブログ筆者様は自分に犯された、侵され続けたのだと思います。
    皆一緒で無くて、皆それぞれの悩みを抱えて、それでも生きていかないといけない世界です。
    みんな一緒じゃないから、答えは無くて目線を合わすのが本当に、難しく本当の意味で、目線を合わせることが出来るのか?出来ているのか?
    ブログ筆者様も相手も悩む物語です。
    そしてこれはこの世界の通常営業なのだと思います。

    しかし寄り添える相手がいるなら、それはまだ「まし」なのだと思います。

    多くの人はその人に出会えないわけです。
    多くの人はそれが本当かわからないわけです。

    自分がそう思う。なら、それはましなんだと思います。

    それに気づけたらマシなのだと思います。

    ご自分を愛し、他の人を愛する事はとても困難が伴います。
    また、これまでの経験から足が竦むこともあるでしょう。

    その過程で見つけるのは宝物かも知れません。

    結局自分の世界で起きてることの捉え方次第だと再認識致しました。

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