パッチをあてたような信仰

考える

何年か前に「宗教って本当は、どの神様だって関係なんかないはずなのにな」なんてことをぼんやりと思った。

本当にそれが神秘で守護であれば、喧嘩や争いになどなるはずがないのにと。

 

私とあなたが全然違う神様を信じていたとして、あるいは何も信じていなかったとして。

人や天地、自然やあらゆる生き物を創造、あるいはそこへ宿るもの。「私」に力を与え護るもの。

その心の内に宿っているものが「私」や「あなた」を護っている。

護られている「私」や「あなた」が相対している。それ自体が既に祝福でしょうにと。

神様がなんなのかなんて…関係がないよねと。

 

何故争いになるのかと考えてみれば、そもそも宗教や思想の違いが争いの種を生むように仕組まれてきた歴史もあるだろうけど、あぁなるほどな。と思った動画があったので紹介したい。

 

由乃夢朗さん。

世界の呪物を集めているという変な人なんだけど、思わぬところに鍵が落ちているからさ。生きてるのやめられないよね。あと1000年くらいは生きたい。地上は本当に面白い。

 

動画の35:17頃から

 

“土台としてスピリチュアルのある人達は押し付けたりしない傾向がある。

一方、病や不運など、何かマイナスを埋める為に、何かのパッチをあてるようにスピリチュアルを始めた人たちは、自分の信じているものを否定された時すごく怒る。“

 

前後も大切な事を沢山言っているので是非時間のある方は聞いてね。

 

これを聞いた時、ああそうかと思った。

宗教も思想も、心に抱えた傷や不安を補うように、すがる対象として信じてしまったものは…否定される訳にいかないのだな。だから争いになるんだなと。

 

不安にパッチをあてたような信仰がはびこっているから

否定されると怒る人。相対するものに非常に攻撃的な人が量産される。

そうすると宗教やスピリチュアルと聞くだけで拒絶反応が出る人も…量産されてしまう。

今は陰謀論やデマ…なんかで片付けられてしまうものにも、同じ事が言える。

 

私はこう思う。こう感じる。は本来、どこにも争うところなんてなくて。

私もあなたも意思を表明できる。それこそが祝福なのになとやっぱり私は思うのでした。

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