ひとつわかったこと ーコソコソと家事をこなす理由ー

日記

今朝、起きてすぐにトイレへ行き、そのままの流れでトイレを掃除した。

呼吸をするくらい自然に。

 

普段私は、夫が在宅中には極力家事をしない。

 

何故か夫が居ない内にコソコソと、急いで終えてしまおうとする。

夕飯を作る時もこれから帰ると電話が来ると、知らぬ内にそれをタイムリミットにし、あとはよそうだけ。に絶対にしようとするのだ。

早く帰宅する日などは、別に帰宅後作ればいいものを夫が在宅しているというだけでやりたくなく、Uberすれば良くない?になる。

長期の休みで在宅中は、家事をする時間がないと感じ猛烈にイライラとする。

 

 

これが今朝トイレ掃除をした時、何故だったのかが分かった。

 

掃除をしている私を見て夫が

「あ。ママがトイレ掃除してくれてる。」

と言ったのだ。申し訳無さそうに。

 

聞く人が聞けば、ただ妻を労う夫の言葉に聞こえるだろう。

きっと夫自身、何の悪気もなかったのも分かっている。

でも、私はこの視点が、猛烈に嫌だったのだ。

 

私はただ、呼吸をしていただけ。自然に、綺麗にしていただけ。

ただ自分の為に。自分が気持ちいいように。

 

しかし、私が家事をしているその姿は常に夫には

「家族の為に身を削ってくれている」という、哀れみにも似た視点だった。

彼が「家族の為に身を削る母親、妻」の位置に、私を置いている。

もしかしたら彼自身、妻とはそうあるべきとすら考えている事も、表しているのかもしれない。

なぜなら、非常に申し訳無さそうにするわりに、彼は特に家事に協力的でもない。

廊下に落ちている要らないチラシなどは、私が拾わなければ永遠に転がり続けている。

 

私が「労ってもらえた」と喜ぶ人間だとしたら、それで丸くおさまるのだ。

そんなことは分かってる。ただ、私はそのような人間ではなかった。

ただひとこと、失礼な人だな。と感じた。

 

私は、気持ちいいように整えていただけよ。何故哀れみの目を向けられなければならないのだろう。

あなたの思うような可哀想な位置に、勝手に私を据えないでくれ。頼むからやめてくれの叫びが、コソコソと家事をこなしていた原因だった。

 

ひとつの「何故だろう」が言葉によって整えられ片付くのは、何かの供養のようだ。

とってもスッキリとした。今日はとっても良い日だなぁ。そう思った。

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